体験談 Vol. 7

体験談 Vol. 7

 初めて判ったのは19歳の時です。地元の遊び仲間と別れた後、帰宅途中の電車内で突然、貧血のような激しい目眩に襲われたのです。幸いすぐに下車予定の駅に着き、ホームのベンチで暫く休むと症状は改善しましたが、初めての異変に、ただごとではない不安を覚えました。それですぐに地元の病院で検査を受け、説明を聞きました。「右前頭部に直径3cmの嚢胞があり、そこに水が溜っています。良性だし、すぐに治療する必要はないでしょう」。その言葉に私はホッとしました。「半年後にまた検査しましょう」。最後にそう言われ、安心して帰宅したことを覚えています。その後は平穏に過ごせたこともあり、私はいつしか検査のことを忘れ、そのまま病院へ行くことはありませんでした。

 それから13年が経ったある日のことです。私は32歳になっていました。仕事中に突然、鼻血がダラダラと出始め、しかもなかなか止まりません。作業服は真っ赤に染まり、怖くなってその日は早退しました。その後鼻血は数回起こったあと治まったのですが、今度は突発的な嘔吐が始まります。私は慌てて胃腸科を尋ねますが原因はわからずじまい。結局、仕事を2ヶ月間休むことになりました。

 療養中、暫くすると頭痛も起こり始めました。激痛ではなくコツコツと、バファリンを飲んでは治まる、そんな感じでした。それから左眼が見えづらくなり、平衡感覚も狂い始め、真っ直ぐ歩けず、自転車も自動車も運転出来ず、倦怠感、異常な眠気・・・と続いた為、13年振りに脳神経外科で検査を受け説明を聞きました。「右前頭部に直径6cmの腫瘍があります。良性と悪性が混じっているようで、初めて見るタイプです」。そう言われ、とても落胆しました。19歳のときに見つかった嚢胞(と診断されたもの)が、増大していたのです。あのとき半年後の検査をきちんと受け、その後も通院していれば・・・。続けて「別の施設で精密検査が必要」と紹介状を渡され、翌日検査を受けました。そして「右前頭部に直径6cmのグリオーマ。良性と悪性が半々混じっている。グレード4」と告げられ、そのまま入院することになったのです。あとで知ったのですが、腫瘍の大きさと性質から手術は難しい、と私の両親は説明を受けていたそうです。

 入院2日目、私はカテーテル検査の最中に嘔吐し、意識不明に陥ります。そしてそのまま緊急手術へ移行したのですが、聴神経が腫瘍摘出経路に干渉していた為、一旦切断し腫瘍摘出後に繋ぎ合わせるなど難航しました。約12時間かけて腫瘍は95%摘出されましたが、術後は別の施設で化学療法と放射線治療の併用を始めることになりました。医師は私の両親に「治療をしても余命は半年から1年。転院までの1週間、本人に好きな事をやらせたほうが良いでしょう」と伝えたそうです。

 転院先での治療は辛いものでした。放射線とテモダールの副作用によって脱毛、吐き気、食欲不振が続きました。また抵抗力維持の為にインターフェロンも使いましたが、副作用の発熱に悩まされました。そんな状況下、私は親を通じて勤め先へ退職の意を伝えます。

この頃は自分でもインターネットで調べ、そう長く生きられないことを覚悟していました。

 治療に要した入院は約4ヶ月。入院後3ヶ月経ってようやく外泊許可が出ました。抵抗力が落ちていた為、病院で夕食を摂ったあと帰宅し、入浴後すぐ就寝。起床後、朝食を摂って病院へ戻る、という落ち着かないものでした。また体重も随分減りました。

 退院後は自宅でテモダールを1年間服用。カプセルに嫌な臭いを感じ、投げ捨てたくなるほど辛かったです。制吐剤(プリンペラン)の効き目も今一つでした。

 こうした辛い治療でしたが、ありがたいことに私には良い結果をもたらしました。余命1年と言われながら、何とかやり過ごし、術後10年が経った42歳のとき、主治医から初めて「寛解といっていい」と告げられたのです。

 私は現在45歳になります。当初再検査を怠った事に心から後悔しましたが、今は病院まで片道2時間をかけ3ヶ月毎に診察を、半年毎にMRI検査を受けています。後遺症の顔面痙攣を抑える為に薬を毎日服用していますが、仕事も普通にこなし、また車も運転しています。私の経験と同じように、厳しい状況にある方も多いと思いますが、それでも好転することもあるということを、強くお伝えしたいです。

(兵庫県姫路市在住、鈴木健弘。患者本人)


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